ケニア紀行 鷹觜 義哲著

ケニア紀行

鷹觜 義哲著
2017.5.14
ケニア紀行(PDF版)

10 年程前、たまたま手にした「アフリカの王(伊集院静著)」を読んでから、いつの日かマサイマラの大地に立ち野生動物に接してみたいという思いを持ち続けていましたが、昨年末に、思いがけずに菊池さんからケニア旅行の誘いがあり、長年の夢が叶えられることになりました。今回のケニア行は、NPO法人ワイルドライフの文化交流行事がテーマ、大学時代に南アフリカの故ネルソン・マンデラ大統領に感銘を受けアフリカへの貢献の夢を持ち続けていた島根在住の安来節保存会一宇川流どじょうすくい踊り師範野島さんの「ナイロビ日本人学校」とキテンゲラ市の「サイディアフラファ」での公演を目的に、モンバサ、マサイマラの観光を加えた 10 日間の 3 人旅となりました。


出発は、2017 年 3 月 6 日(月)成田空港 21 時 25 分発エディバド航空 EY0871 便、アラブ首長国連邦のアブダビ空港で EY0641 便に乗り換え、ジョモ・ケニヤ ッタ国際空港まで 21 時間、長時間の移動となりました。アブダビ空港では、ケニアから日本に高校留学し、現在、静岡県浜松市の実業団で活躍中のマラソン選手マイケル君と会い、話をすることが出来ました。ちなみににマイケル君、ケニア代表で 2020 年の東京オリンピックを目指しているとのことでした。
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3 月 7 日(火)定刻 13 時にナイロビに到着、私にとって初めての東アフリカ、ケニアの地に無事降り立つことが出来ました。ナイロビは、ほぼ赤道直下の街、さすがに直射日光は強く感じますが、海抜 1700mの高地にあるためそれほど暑くはなく、湿気も少なく思いのほか過ごしやすいところでした。
空港には、菊池さんの友人でナイロビ在住の写真家キムさんの運転手ジョージ君が出迎え、ひとまず迎えの車でホテルへ直行しました。
ホテルはナイロビ日本人学校の渡部さんの紹介のナイロビ中心から西へ 7Km の Eldon Villas、キッチン付きの広々とした部屋、プール付きの滞在型のホテルです。ホテルに到着したら入り口は鉄の門扉で閉鎖され、警備員がチェックし都度開閉するようになっており、まずはこの警備の厳重さに驚かされました。

チェックインの後、買い物事情を探るため近くの大型ショッピングセンターへ、ここでも入り口で金属探知機での荷物チェックがあり厳重な警備体制にまたビックリ、ナイロビは治安が悪いとは聞いていましたが、これほどとは思ってもいなかったので、つい周りを見渡し不審者は居ないかと、ちょっと緊張してしまいました。
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ショッピングセンターは、ショップもお洒落、美味しそうなレストランも多く、食品売り場も種類が豊富で、日本にある郊外型の大型商業施設と同じような規模で、ケニアの庶民の豊かな生活ぶりが窺われました。
ホテルでシャワーを浴び一休みして、夕食に外出、ジョージ君の迎車でキムさんが予約してくれたイタリアレストランへ、キムさん、渡部さんを交え、ケニアのイタリアンを楽しみました。なかなか素敵なレストランで、欧米人の客も多く、ワインを飲みながら楽しく懇談しました。ケニアのイタリアンもなかなかなものでした。二次会は、レバノンバーへ、初めてのレバノン料理でしたが、レバー料理が実に美味しく、ここでもしっかり飲んでしまい初日から午前様、大移動の疲れもあり、この先が思いやられました。

3 月 8 日(水)は野島師範によるナイロビ日本人学校での安来節公演です。ナイロビ日本人学校は 1970 年に設立された歴史ある学校で、広大な敷地に、校舎、体育館、校庭があり、日本の学校と変わらない立派な設備の学校でした。警備は厳重で、周囲に柵を巡らせ警備員が巡回、入り口には 2 重の鉄扉があり警備員が常駐しています。案内された校長室には歴代の校長先生を含めた役員の名簿が掲示されていましたが、その中に 2002 年~2004 年国際交流ディレクターとして、菊池さんの名前がありました。
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体育館に全校生徒 40 名が集まり、野島師範により島根県と安来節の紹介の後、「しげさ節、関の五本松節、キンニャモニャ、銭太鼓、どじょうすくい踊り」と多岐に亘る演目で聴衆を楽しませてくれました。キンニャモニャ、どじょうすくい踊りは、40 人の生徒と先生も全員参加し、学校が準備したビクを腰につけ、ザルを持ち、鼻あてをし、日本手拭いでほっかむりしての本格的な踊りに大いに盛り上がりました。日本を遠く離れて、ケニアの地ですくすくと育っている生徒を見て、これからの日本を支えてくれる立派な国際人に成長してもらえるものと頼もしく思いました。

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日本人学校の公演が終了し、その後はゲームミートCarnivore Restaurant での夕食へ、タクシーでの移動となりました。移動中、タクシーの窓の外を見ると、なんとアフリカ最大のスラムと言われているキベラの中、スマホで確認したところキベラのど真ん中のキベラ・ドライブを通 っていました。ここには武装した犯罪集団がおり夜な夜なナイロビに現れ、警官隊と打ち合いになることもあるとのこと、当初はキベラ内の学校で公演を行う予定でしたが、ナイロビ在住の紹介者から直前になって命の保証はできないと言われ、急遽、公演場所を変更した経緯もあり、写真を撮るのもはばかられ、緊張して窓の外の様子を眺めていました。

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赤く灼けたトタン張りの家並みが続くキベラの現実を目の当たりにして、住環境の悪さと、貧富の差にやりきれない思いをしたのと同時に、このような環境の中でもたくましく生きているケニアの人々に心の中で声援を送りました。
Carnivore Restaurant では、ビーフ、チキンなどの他にダチョウ、ワニ、ラビットの肉を味わいましたが、どれも硬くて、日本で食べるような柔らかな肉ではありません。しかし、大きな囲炉裏で豪快に肉を焼き、野趣あふれる料理で雰囲気は最高、まさにアフリカのレストランそのものでした。この日も遅くまで飲み食いし、2 日目にしてふらふら、この先が思いやられます。

3 月 9 日(木)朝 6 時にジョージ君迎えの車でホテルを出発、ジョモ・ケニアッタ空港 9 時 10 分発、 Jambojet 航空で一路モンバサへ向かいました。モンバサ行はかつての勤め先だった S 建設が 1980 年にODA で完成させたニューニアリー橋をこの目で見るため、私のたっての希望で旅程に組込んだもので、 1 泊 2 日の慌ただしい旅になりました。
機上からは、思いがけずに雪を頂いたアフリカ最高峰キリマンジェロがくっきりと見え、大感激、1 時間余りの飛行でしたがあっという間に Ukunda 空港に到着しました。空港ではキムさんの友人のリーさんがお出迎え、リーさんの車でホテルへチェックインです。

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ホテルは Baobab Beach Resort、モンバサの南 30km のンド洋に面した広大な敷地の中に宿泊棟が点在するゆったりした雰囲気のリゾート施設、日本ではほとんど知られていない白い砂浜のなんとも素敵なリゾートです。予約してくれたリーさんの話では国外からの旅行者とケニア在住者とでは宿泊代が倍違うとか、モンバサ在住の日本人になりきって格安に宿泊できました。
昼食後、リーさんがチャーターしたタクシーでモンバサ市内に向け出発、モンバサはケニア第二の都市、1498 年のバスコダガマ来訪以来、ポルトガルが進出した歴史ある都市です。モンバサは島に出来た街で北側にはニューニアリー橋が架かっていますが、南側には未だに橋が無くフェリーで渡ります。多くの車、人を満載したフェリーがピストンで往復しており、主要なルートにも係わらず、交通インフラの整備が遅れているケニアの現実を目の当たりにしました。

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ニューニアリー橋は、S 建設の仲間がデビダーク工法で架けた橋長 400m、幅 26m、4 車線のコンクリ ート橋、高欄に「Grant aid by the government of Japan cooperation between Japan and The Republic of Kenya」のモニュメントが取付けられており、日本とケニアの友好の証として 37 年経った今でも立派な姿を見せています。夕方の通勤時間帯だったこともあり、通行車両が多いことはもちろん歩行者が歩道一杯に溢れんばかりに通行しているのが印象的でした。日本の援助で架けた橋がこのように利用されている様を見て、土木屋の端くれとして感激ひとしおでした。

その後、歴史ある街のたたずまいのモンバサ市内を散策した後、車両と人を満載したフェリーで再び南側へ渡り、Baobab Beach へ戻りました。
その夜は、リーさん経営の日本料理店で夕食、刺身、寿司、鉄板焼きと、豪華な食事をご馳走になりました。リーさんはかって日本で料理の修業したとのこと、奥さんとアフリカを旅行中、たまたま立ち寄ったこの地が気に入り、日本食レストランをオープン、魚など食材を現地調達し、本格的な寿司と鉄板焼きの日本料理のお店です。若い韓国人の夫婦が縁もゆかりもない異国の地で、このように立派な店を経営している姿を見て、心から感心してしまいました。陰ながらお店の発展をお祈りしています。

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本場のインド洋マグロを堪能し、二次会は、砂浜にあるホテルのバーへ、月の光の中、インド洋の波の音を聞きながら、楽しいひと時を過ごしました。

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3 月 10 日(金)は、早朝から日の出の時間を見計らって海岸へ散歩、インド洋から上がる朝日を拝み、遠くバスコダガマの時代に思いを馳せ、白い砂浜の散歩を楽しみました。朝食後はプールでひと泳ぎ、プールサイドのバーでビールを飲み、 Baobab Beach Resort を満喫しました。このリゾ ートは、飲食は全てホテル代にインクルーズされているシステムで、心置きなくビールが飲めました。ケニアに来て以来、初めてのんびり過ごしたひと時でした。
こんな素敵なリゾートに巡り合えたのも、モンバサまで来たおかげ、過密なスケジュールでしたがわざわざ来た甲斐があったというものでした。
その日の夕方、Ukunda 空港 16 時 5 分発の Jambojet でナイロビへ、Eldon Villas に戻りました。

3 月 11 日(土)、ショッピングセンターのカフェで朝食、ケニアコーヒを味わい、いよいよマサイマラへ向け出発です。Eldon Villas を 10 時にジョージ君運転のサファリカーで出発、幹線道路を大地溝帯へ下り、途中からは洗濯板のような未舗装のオフロードに揺られて 5 時間 のドライブ、マサイマラ国立保護区に到着です。
保護区のゲートにはライフルを持った警備員が大勢詰めており、遊牧民の立入りや密猟者の取り締まりに努めている様子が窺えました。

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入場の手続を終えゲートが開けられ、いよいよマサイマラ国立保護区へ、車が中へ入った瞬間大感激、これまでの土埃の風景から一変し、一面に緑の絨毯が広がり、野生動物たちのお出迎え、思わずこれがマサイマラかと歓声を上げてしまいました。
サバンナの轍のついた道を暫く走って、マサイマラの宿、Fig Tree Camp へ到着です。Fig Tree Camp はワニやカバがいそうな川を木橋で渡ったところにレセプションとレストランがあり、その奥の森の中に戸建てのロッジが点在する静かな環境の素敵な宿です。

チェックイン後、直ちにサファリへ出発、運よくレオポルドに遭遇、ガゼル、トピー、マングース、インパラ、ヌー、ゼブラ、象などなど多くの野生動物に巡り合い、のどかに草をはむ風景に大感激でした。草原の地平線に沈む太陽を背にロッジに戻り、その夜は、レストランで食事の後、早々に就寝、翌日に備えました。


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3 月 12 日(日)はブレックファーストバスケット持参で 6 時 30 分にロッジ出発、日の出とともに動き出す野生動物を観察です。朝の澄んだ空気の中、草原の朝もやの彼方から朝日が昇り、野生動物が動き出す、数基の熱気球も上がり、なんとも神聖な感じの風景で、自然のありがたさを実感した瞬間でした。

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暫しのサファリの後、朝食タイム、車の外に出られるのはジョージ君の許可した場所だけ、川のほとりの安全な場所で朝食です。車外へ出るときは、必ずドアをオープンにしておき、動物に襲われた時はすぐに車内に逃げ込めるようにしておくのがルールとのこと、カバの大集団とワニ、対岸にいるキリンを見ながらの朝食でした。
午前中草原を走り回り、この日も多くの動物と会うことが出来ました。

昼食でロッジに戻る途中、たまたまマサイ族の集落の前を通ったらそこは観光の村、マサイ族の男性に囲まれ入場料の値段交渉、無事に交渉妥結して集落に入ることになりました。入り口では歓迎のマサイジャンプを披露してもらい、我々も仲間に入り皆で交互にジ ャンプ、マサイ族になった気分を味わいました。集落の中では、火おこしの実演、住居内の見学、女性グループの歌と踊りなどマサイ族の生活の一旦を垣間見ることが出来ました。火おこしの実演では、何度もチャレンジしてくれましたが、煙は出るものの火は付かず、普段はマッチを使って生活しているとの言い訳がありました。そんな中、菊池さんが 15 年ほど前にこの地を訪れた時に会ったというマサイ族の長老が現れ、久しぶりの再会に話が弾んでいました。
その後、どうしても案内したいという広い小屋の中に連れていかれたら、そこはお土産の売り場、結局お土産を買わされる羽目になってしまいました。ケニアのビック5、ライオン・レオポルド・象・サイ・バッフ ァローの木彫りの像をセットで購入しましたが、値段交渉が大変、こちらの指値を集まっている女性陣に諮り、許可を得るまで交渉が続きます。結果的には、素敵な思い出と共に、マサイの良いお土産を手に入れることが出来ました。
その後、ロッジに戻り休息、午後 4 時に再度、サファリへ出発です。
幸先よくチーターに遭遇し、ライオンを求めて移動中、なんと車にアクシデント発生、ボンネットを開けて見るとラジェーターファンが破損、ホースからも水が漏れており、サバンナのど真ん中でオーバーヒートでストップしてしまいました。おそらく川を渡った時、木の枝でも巻き込み故障してしまったものと思われます。最悪、この場で一夜を明かすことを覚悟したのですが、ジョージ君の携帯電話がつながり、近くにいた同じロッジのサファリカーが助けに来てくれました。ジョージ君は牽引車を待ち現地に止まりましたが、我々3人は、イタリアのサルディーニャから来た若いカップルの車に同乗させてもらい 7 時までサファリを継続、ロッジに戻りました。サバンナのど真ん中でのアクシデント、貴重な体験となりました。サルディーニャのカップルには夕食で会った時、日本から持参したワンカップをお礼に進呈、彼らにとって初めて飲む日本酒がかなり美味しかったようで大感激されました。
その後、牽引車でジョージ君は無事にロッジに戻り、依頼していたメカニックが夜9時ごろ到着、深夜 12時までかかって修理が完了しました。ポレポレ(ゆっくり、ゆっくり)の国のこと、一時は飛行機で帰る算段をするなどしていましたが、その日のうちに素早く対応してくれたメカニックに大感謝でした。

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その夜のディナータイムにはマサイダンスのショーがあり、歌と踊りを観賞、食事の後は、ラウンジで可愛いマサイ族のウエイトレスと会話を楽しんだり、アクシデントにもめげずにマサイマラの最後の夜をゆったり過ごしました。

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3月 13 日(月)、8 時過ぎにロッジを出発、朝のサバンナを少しだけサファリした後、帰路につきました。修理した車は快調に走り、午後 3 時頃ナイロビ Eldon Villas に戻りました。
この夜は、ホテルの部屋に今回の旅でお世話になった人々をお招きしてのパーティを企画、早速、近くのショッピングセンターで、食材、お酒などを調達し、パーティーの準備です。ソーセージ、チーズなどの食材の他に、野島師範はサラダを、私はメインのステーキを料理し、一応の形を整えました。売られているワインは、南アフリカ産のワインがほとんどで、たまたまグレートリフトバレー産ケニアワインを見つけ購入しましたが、残念ながら南アフリカ産に比べ味は今一でした。
キムさん、渡部さん、渡部さんの生徒、エリザベス(ホテルの支配人)をお招きしてのパーティの開催、野島師範の銭太郎、安来節などの実演があり、この夜も遅くまで楽く歓談しました。

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3月 14 日(火)ケニア最終日、ホテルを朝 6 時 30 分に出発、8 時にキテンゲラ市にある「サイディアフラファ」へ到着です。キテンゲラ市は、ケニアの首都ナイロビから約30km 南東に位置し、遊牧民族マサイの人々が多く住む地域にあり、工業地帯として開発されているため、この地域への人口流入が激しく現在は人口 25 万人とのことです。「サイディアフラファ」には幼稚園から小学校 5 年生までの児童生徒が 140 人程学んでおり、沈まぬ太陽のモデル小倉寛太郎さんがファーストパトロンで、日本の NGO が運営・資金の両面から支援している学校です。現在日本人の荒川さんが駐在し、現地の人たちと共同して運営に当たっています。公演に先立ち、校内を案内して頂きましたが、1 学年 1 教室、身寄りの無い女子児童 16名のための寄宿舎も整備され、児童生徒は貧しい環境の中でも真面目な態度で学習に取り組んでいました。

安来節の公演は、校庭の一角にある野外ステージで、全校児童生徒の見守る中開催されました。荒川さんのスワヒリ語の通訳で安来節の説明があり、野島師範の実演開始です。どじょうすくいお踊りは、高学年の 40 名ほどが日本人学校から借りたザル、びくを使い体験してもらいました。さすがにケニアの子供たち、リズム感があり、腰振りもさまになっており、初めての体験なのに立派などじょうすくい踊りを踊っていました。荒川さんの話では、ケニアではこのような課外学習の機会はほとんど無く、子供たちにとって貴重な体験が出来たと大変感謝されました。おかげさまで、今回の旅の目的である文化交流を果たすことが出来ました。

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公演が終わり児童・生徒、先生の見送りを受け、一路、ジョモ・ケニアッタ空港へ、ジョージ君とも別れの挨拶を交わし、いよいよケニアともお別れです。14 時 05 分発のエディバド航空で、帰国の途につきました。往路と同じアブダビでトランジット、復路は 15 時間、3 月 15 日(水)15 時に無事に成田空港に帰国することが出来ました。

ケニアは東アフリカでは最も経済の発展している国と言われていますが、一方で、政治の腐敗、部族間の対立、貧富の差の増大などが問題となっています。今回の旅行を通じて、日本人学校とサイディアフラファの教育環境の差、スラム街、未だに南側に橋の出来ないモンバサ、マサイマラへの悪路など、貧富の差やインフラ整備の遅れを目の当たりにすることが出来ました。
このような国情ですが、アフリカはなんといっても野生動物の宝庫です。異常気象など環境破壊が社会問題になっていますが、自然環境を保護することの大切さ、野生動物を保護することの重要さを伝えていくことがマサイマラを体験した私たちの使命と強く思いました。
NPO 法人ワイルドライフが掲げている「自然の尊さ、地球という奇跡の星は人間だけのものではなく、人間もまた動物の一種である」ということを再認識した旅でした。

ケニアへの旅は、ガイドブック等の事前情報では、スリ、強盗、テロに加えて、マラリア、黄熱病、食中毒等、ネガティブな情報が満ち溢れており、かなりハードルが高い感じがしましたが、現地ではそのような状況に陥ることは無く、安全に旅を楽しむことが出来ました。これもひとえに、キムさん、渡部さん、リーさん、ジョージ君など多くの皆様方のご尽力のおかげと感謝しています。ケニアは遠い国ですが、今後も機会があればまた訪れて見たいと思います。
最後に、このような機会を与えて頂いた菊池さんありがとうございました。野島さん、ケニアの子供たちに笑顔を一杯届けて頂きました。ご苦労様でした。